我们周围存在的所有事物都是有形状和颜色的。 形状表现出物体的姿态,色彩赋予物体新的生命力。色彩在表现物体时是必要的,甚至可以说是重要的因素之一。色彩跟文化息息相关,文化不同,色彩所包含的含义也会有所差别。而且,即使是相同的颜色,在不同的国家也可能会有截然不同的含义。中日两国两千年来一直未间断过文化交流。其中风俗文化的交流更是频繁。在交流过程中中日两国互相吸取、借鉴了各自的优秀文化,并将其发展壮大。如今中日两国正面临高度成长期,人们的生存和意识都在急速的变化着。衣食住各方面都在向西洋化发展。婚葬祭的色彩文化也不可避免地受到影响、发生着微妙的变化。
中日两国都很重视色彩的运用,都注重根据场合,根据文化含义来正确运用色彩。在本dissertation中,在先行研究的基础上,我将就中日两国在婚葬祭方面的色彩文化做一下比较。
要旨:私たちのまわりに存在するすべてのものは形と色を持っている。形は物の姿を示し、色彩はそれに新しい力、生命力を与えるといわれ、色彩が物の表現に必要かつ重要であることは言うまでもない。「色彩」のことは文化と係わり合い、文化が違うと、色彩の意味も違う場合が多い。さらに、同じ色彩ではあるが、国によってまったく逆な意味になる場合もある。中日两国は二千年前からコミュニケーションをしてきている。その中に両国の風俗文化の交流も頻繁に行われている。つきあっている間に中日は互いに新鮮な文化を与え受け入れ、発展してきた。今、中日ともあらゆる面で高度成長していて、それが人々の暮らしにも意識にも急速に変化をもたらしている。衣食住など、多くは洋風化の傾向になって、婚葬祭における色彩文化が現れてきた。
中日両国とも色彩の運用を特に重視し、場面によって、文化意味によって正確に運用することを重視している。本稿では、先行研究を踏まえながら、中日両国の婚葬祭における色彩文化の比較について考察してみようとしている。
キーワード:婚葬祭、色彩、文化、
1.0はじめに引言
私たちのまわりに存在するすべてのものは形と色を持っている。形は物の姿を示し、色彩はそれに新しい力、生命力を与えるといわれ、色彩が物の表現に必要かつ重要であることは言うまでもない。「色彩」のことは文化と係わり合い、文化が違うと、色彩の意味も違う場合が多い。さらに、同じ色彩ではあるが、国によってまったく逆な意味になる場合もある。中日两国は二千年前からコミュニケーションをしてきている。その中に両国の風俗文化の交流も頻繁に行われている。つきあっている間に中日は互いに新鮮な文化を与え受け入れ、発展してきた。今、中日ともあらゆる面で高度成長していて、それが人々の暮らしにも意識にも急速に変化をもたらしている。衣食住など、多くは洋風化の傾向になって、婚葬祭における色彩文化が現れてきた。#p#分页标题#e#
中日両国とも色彩の運用を特に重視し、場面によって、文化意味によって正確に運用することを重視している。本稿では、先行研究を踏まえながら、中日両国の婚葬祭における色彩文化の比較について考察してみようとしている。
2.0先行研究
色彩の文化はどのように反映されているかは、 古くからさまざまの分野において、さまざまの方法によって研究されてきた。中には中日の色彩文化についての研究は特に数多くある。
付如(2005)「中日の伝統色彩文化への一考察」と季庆芝(2010)「中日色彩文化含义的比较——以红、白、青为中心」の中でも、「白」を分析する部分があって、神聖な「白」、純潔な「白」など、様々な例を挙げて、「白」の文化意味を十分に描いてあった。罗玉玲(2009)「关于中日文化中的色彩观围绕色彩象征意义的探讨」では、色彩の象徴性に着目して、色彩の積極的な意味と消極的な意味を論述することがある。また、金谷千都子(平成13年4月)は『冠婚葬祭しきたり百科』では、「冠婚葬祭の行事」を分析した。王国安、王小曼(2003)の『汉语词语的文化透视』の第九章は中国語における色彩語の文化意義に関する研究である。王国安の説明によると、「白」は卑賎の意味を持っていると思われる。私の意見から見れば、中日の色彩文化の間に必ず共同点と相違点がある。以上の先行研究を踏まえながら、婚葬祭における中日色彩文化の比較について考察してみようとしている。
3.0婚における比較结婚的比较
3.1婚における中国の色彩文化
中国人の伝統的な結婚式を行う場合、新郎新婦は赤のチャイナドレスと唐装姿で、新居に飾るもの、結婚式の前に出席者に出す招待状、親戚や友人からもらったご祝儀の紙袋、それに布団までも真っ赤なのである。
中国の慶事における赤の例を以下に挙げてみたい。慶事の代表である結婚は赤づくしである。まず、結婚披露宴への招待状は赤一色の封筒が使われ、祝儀袋も同じである。男子の礼装はダークス―ツに赤のネクタイである。披露宴会場の赤は幕、提灯、テーブルクロスなどの設えも赤である。正面の壁一面には、中央に喜の字文と披露宴の意味の漢字を金文字で書いた赤い幕が張られる。その向って左と右にはそれぞれ鳳凰と龍の金色に輝く彫り物がかけられて、幕の赤さを引き立てる。鳳凰と龍はそれぞれ人間の女性と男性を象徴し、二つ向い合わせて揃えることで夫婦和合の祈念を表しているという。その外側の天井よりは赤提灯が下げられる。宴席の円卓には赤いテーブルクロスが使われる。#p#分页标题#e#
金屏風は結婚披露宴の会場になくてはならないものである。雛壇の後ろ寄りに立てられた金屏風は列席の人の視線を新郎新婦の方に呼び寄せるとともに、会場全体の雰囲気を華やかにしてくれる。金屏風は豪華な印象のものであるが、そのために花嫁の衣装がくすんで見えるようなことはなく、かえって引き立って見える。「水墨画と金地屏風絵」の頃で、油絵を引き立てる金箔貼り額縁のことに触れたが、金屏風のこれと同じようなものである。雛飾りにもミニチュアの金屏風が使われていて、人形の絢爛豪華な衣装をより華やかなものにしている。それにしても結婚披露宴はこの情景とそっくりである。
結婚披露宴での金屏風はめでたい席であることを示す一種の標識にもなっていることに気づく。金屏風はこうしたハレのシンボルとしての側面を持っているわけで、ちょっとしたハレの場も含めていろいろなところで利用されることになる。
3.2婚における日本の色彩文化
日本では、結婚するとき、新婦の婚儀衣装はすべて白であり、新郎は黒の着物姿である。これは日本人は特に白色が好きなことに関係があるのではないかと思う。古代の日本人は、白色は純潔な心を象徴し、また、顔色の白い艶は生命力が強いのを象徴するとされていたという。その他に、白色が神と人間の紐帯となるので、神社で神官らは白い服を着用する。白色の象徴意義であるこそ、新婦は白い婚儀ドレスを着用するのであろう。白い婚服を着用するなら、新婦が親の心の中にすでに死んでしまうということを象徴し、生前に夫の家に離れないという意味もあるという。
面白いことに、現在、日本人の婚服は常に紫色を忌み嫌うのである。紫色は最も色褪せやすい色なので、紫色の服を着用するなら、婚姻が長く続けられないという心配があるといわれている。
結婚式の服装で、親族が和服で出席する場合に、既婚の女性は黒留袖を着用するのが一般的であり、礼服も黒が普通である。それは、両親や親族は黒い服装をするのがマナーだからである。親族以外の出席者は、黒以外の服装で、出来るだけ華やかな服装で出席するようにしたほうがよい。何故なら、親族が黒い服装なのに、友人まで黒い服装で出席してしまうと、せっかくの結婚式の会場が重苦しい雰囲気になってしまうからのである。
友人の場合などは、できる限り黒い服装や白い服装を避けたほうが良いとされている。なぜ白もタブーになるのかと言えば、白色は花嫁の衣装だからである[1]。#p#分页标题#e#
白い服はもちろんのことけれども、ベージュなど、遠くから見て白に見えるような服装まで避けるようにしたほうが無難である。
日本では「嫁ぐ日は至上の白で」と言う言葉がある。嫁ぐ家の色の染まることや花嫁の心身の潔白を表す白無垢は何物にも染められていない清浄感と感じさせ、神前結婚の粛々とした雰囲気を浮き立たせている。昔、夫の家に出向く花嫁が、全身を真っ白な和服で覆われていたが、白色もともと神に仕える時にも着用した衣服の色であったことから、厳かで、高尚な感じがある。白無垢は今の時代でも伝統的な婚礼における花嫁の正装で、打掛から帯や下着の襦袢まで全部白を着用する音になっている。もちろん、羽織の紐とセンス、足袋も白のを用いるのである。中国のめでたい赤色の意味を同じで、、日本の白は伝統的な要素で、婚礼のめでたい雰囲気を作り、幸福のめでたく平和も含まっている。
白はめでたい色で、新郎と新婦の幸福の始まりだと思う。純潔で、無垢などの意味合いを持ち、結婚というめでたい時に欠かせない重要で、吉祥の意味を帯びる色彩である。
3.3婚における中日の色彩文化の比較
結婚は人生の重大の分岐点であり、服飾は身分転換の過程の中に重要的な使命を帯びている。服飾といえば、まず考えられるのはその色彩であろう。違う国家違う文化背景の中において、同じの色彩だとしても、人々の好みも異なっている。従って、色彩に関するタブーも異なっているのである。結婚式には、中国の方は赤が好みであり、日本人は白が好みであると言えよう。中国には衣服だけではなくて、結婚式の前に出席者に出す招待状、親戚や友人からもらったご祝儀の紙袋、それに布団までも真っ赤なのである。日本では、結婚するとき、新婦の婚儀衣装はすべて白いのであり、新郎は黒の着物姿である。中国ではその白黒姿はお葬式にしか見られないシーンで、結婚式とはとうてい想像もできない。中国でも日本でも、最近ではウェディングドレスが多くなっているが、中国の新郎は必ず赤いネクタイを締め、日本は白いネクタイを締めている。中国では慶事のことを紅事というくらい、慶事が赤で演出される。慶事の象徴色を赤一色に決めた徹底ぶり、そして広範な適用ぶりはほかの国にはまったく見られない。なお、日本はというと、中国の赤ほどの目立つ派手さはないが、白が慶事の象徴色だといえる。
4.0葬における比較
4.1葬における中国の色彩文化#p#分页标题#e#
「不幸」を意味している場合は、中国従来の風俗では、一式的に喪服は白である。「白」は昔も今も死を象徴する役柄を与えられている。これは、中国の思想や文化の根底にある陰陽五行説の名残から考えられる。昔の人はよく白を葬式、喪服の色とした。白が葬式の主な色調であり、喪服の色だけでなく、葬式そのものが白と言っていいほどであった。葬式に白が使われ始めたのは周の時代であった。昔、皇帝が亡くなった際、大臣は素服で来なければならず、「白衣会」と称する。そして、古代の棺を運ぶ車は白の覆いをかけ、死者のために服喪する。喪中には孝子が着る白い服は、素服と呼び、染色していない「粗布」で作られる。父母の死後、子女、嫁、婿、孫など皆喪服を着、または喪章をつけなければならず、葬式を出すにあたっては、目下の者は頭に白の鉢巻を巻き、白布の靴を履くのであった。喪服の麻生地や素車白馬の素車に共通した意味は粗末な材料を使うということである。中国古代の生地は麻と絹の二つである。絹の方がはるかに上等なものである。麻の方が喪にふさわしいと気を持つという語源説も後になって作られたと想像される[2]。確かに粗末な材料の方が死者を弔う気持ちに合っているように思う。
中国では慶事を紅事ということは前にも述べたが、この反対の弔事は白事という。日本人にはちょっと信じ難しいかもしれないが、事実そうなのである。白はこれほどまでに弔事と結び付いており、実際弔事に使用するいろいろな物に白が使われる。まずは葬式において遺族が着る白い喪服である。スタイルはもちろん民族衣装スタイルである。何も染色していない麻布の生地で作った服だから、白といっても麻が黄みを帯びた白色である。薄いベージュといってもよい。この白の喪服がずっと昔から今日まで一貫して使われてきた。
そのほか、葬式に使われる白としては日本のお香典やご霊前に相当する白一色の不祝儀袋や、壁にかける白い幕などがある。白は古今を問わず、中国の葬式によく用いられていて、死者を悼むのに最も相応しい色であると考えられる。死者の魂、神明など象徴である。人は白をひれ伏し、保護することになっている。そして、白はいつも葬式の色と定義られるため、中国の結婚式では、花嫁のウエデイングドレス以外、お客様の衣服は白色であればまずいとされている。
弔事に関係した言葉として古くからあるものに、白衣冠、白さんや素車白馬、白旗などがある。白衣冠という言葉は紀元前一世紀に書かれた史記に喪服の意味で出ており、この頃すでに白の喪服が確立されていたという。白さんとは前に述べた伝統的な正装スタイルの喪服のことである。素車白馬は白馬に引かせる車で白木造りを特徴とし、喪のときに使用するもので、いわば現代の霊柩車のようなものである。これは後漢の事跡を記した『後漢書』に載っている。なお、日本の南北朝時代の争乱を描いた『太平記』にもこれが載っており、日本でも実際に使われたことがわかる。白旗、白幟は喪に服した軍が掲げる白い旗と幟である。中国が喪の色をこれほどまでに白に徹してきた根拠、理屈に白という字の語源がある。白は「入」と「二」を合わせた会意文字であり、陰陽道によれば、入は入り日に通じるから陰であり、二という数字も陰である。つまり、白は陰が二つ重なったまさに陰気の極であり、弔事の象徴色としてぴったりというものである。奇数は陽、偶数は陰の構図は身近に見受けられる。中国生まれの五節句がそうで、奇数月と奇数日の組み合わせであり、七草は一月七日、桃の節句は三月三日、端午の節句は五月五日、七夕は七月七日、重陽は九月九日となっている。日本で盛んになった七五三の祝いも同じ思想によるものであろうと思われる。#p#分页标题#e#
ただし、一九九七年二月に亡くなった元最高実力者鄧小平氏の追悼大会では白い造花が喪章として使われた。政府要人は左胸に、形、大きさがバラに似た白い造花を付けた。一般市民の中にも同じものを付けた人がいた。また、バスや電車の前面にもこの造花を巨大化したものが付けられた。このように喪の色としては伝統の白が使われたが、政府要人の衣服はというと、意外にも黒の洋礼服に黒のネクタイをし、黒の腕章を付けた、完全な西洋式喪服であった。日常の服装が完全に洋風化したのに伴い、必然的に西洋式喪服を採用したといえるし、また、喪服の国際基準に合わせたとの見方もできる。ただし、伝統的な喪の色である白は胸に付けた造花にしっかり堅持したわけである。
なお、中国の都市部では最近、西洋式の黒い腕章を付けるだけの喪服が浸透してきている。同じ中国でも台湾は白喪服の伝統を守っており、西洋化は見られない。韓国も麻地を使った白喪服であり、西洋化されないのは台湾と同じである。
4.2葬における日本の色彩文化 色彩的文化
現代の日本の葬儀においては、喪服は黒や薄墨色が一般的である。また、和服の場合は喪主と喪主の配偶者が白色の服を着用することもある。逆に赤などの派手な色はふさわしくないとされている。
日本のこれまでの葬儀での習慣として、葬儀を悲しむべき死者との別れとの見解から、一般に華美な服装は歓迎されず、ほとんど規格化した黒の喪服が利用されてきた。これは日本やその他一部の国だけの常識であり、国によって服装は多様である。たとえば中国では白であり、弔事を白事というくらいである。中国では普段着、韓国は韓国服を着るが、遺族は着色のない粗末な服を着る。これは親の死は、子供の誠意が足りなかった結果と考え謝罪の意を示すためである。インドネシアのバリ島ではお祭りと同様の華美な衣装に男女とも身を包む。これは死者が天国に迎えられるための、めでたい儀式と考えることによる。
日本での通夜、告別式など、親族以外の者が集まる場合、各々の服装については一般に黒を基本とした服装が好まれる風潮がある。地域により、通夜も喪服が礼儀であるとの見解もあるが、一般的に通夜へ喪服で参加することは失礼にあたる(喪服だと葬儀を予期していたようで失礼にあたるという考え)。特に通夜は急に執り行われることが多いため、参加する姿勢が大事と考える人もいる(仕事帰りなどで作業服しかない場合などはそのままで)。とりわけ、忌避されるのが以下のものである。#p#分页标题#e#
日本の喪服の色について変遷を簡略にまとめて見ると、最初は中国伝統の色と同じ白であり、平安時代には独特な灰色となり、これが終わるとまた前と同じ白になり、この期間が長く続き、明治後半にヨーロッパ式の黒になって現在に至った、となる。ただし、灰色は平安時代以後完全に消滅したというわけではなく、近代まで皇室に受け継がれてきた。灰色と黒は近い関係にあり、明治時代の黒への変更をスムーズにした点があるかもしれない。
変遷のなかで平安時代以降においては全階層についてのデータであることを付記しておかなければならない。この頃書き残されたといえば、何も喪服に限らず全般的に貴族階層のことばかり言及していて、一般階層のことには言及していない。一般階層には特別に喪服などなかったという推察もできよう。
昭和天皇の大祭のときは、今上天皇や皇族は完全洋式の黒ベースの喪服を着用したが、追悼の意味合いで昭和天皇そのほかの天皇の陵墓を参拝するときは、同じ洋装でもネクタイを灰色にし、女性は服や帽子などを灰色にしている。ここに皇室伝統の喪の色の灰色を見ることができる。
なお、昔の白の喪服や喪章は、現在完全になくなったわけではなく、残っている地方がある。
4.3葬における中日の色彩文化の比較
日本、中国の喪服の色を歴史的に概観してみれば、中国は一貫性があるのに対し、日本はそれが見られないという対照性が分かるだろう。日本の喪服の色の紆余曲折の原因と分析してみたら、中国やヨーロッパが与えた影響は考えなければならないものだと思う。白は古今を問わず、中国の葬式によく用いられていて、死者を悼むのに最も相応しい色であると考えられる。死者の魂、神明などの象徴である。人は白をひれ伏し、保護するようにしている。そして、白はいつも葬式の色と定義されている。
現代日本の葬儀においては、黒や薄墨色の喪服は一般的である。ただし、和服の場合は喪主と喪主の配偶者が白色の服を着用することもある。日本の喪服の色の変遷といえば、最初は中国伝統の色と同じ白であったが、平安時代になってから独特な灰色となり、それから白になり、この期間が長く続き、明治後半からヨーロッパ式の黒になってから現在に至っている。とはいうものの、灰色は平安時代以後完全に消滅されしたというわけではなく、近代まで皇室に受け継がれてきた。灰色は黒に近い色であり、明治時代の黒への変更をスムーズにした点があるのではないかと思う。#p#分页标题#e#
5.0祭における比較 文化的比较
5.1祭における中国の文化
5.1.1「赤」の文化
中国の正月は赤でムードが盛り上げられる。四角形の真赤な色紙を菱形に使い、福の字を金文字で書いたものが家の壁や柱にかけられる。面白いことに福の字が逆さまになるようにかけられるが、これはたくさん福が入ってくるようにとの願いである。正月の餅を詰める箱にはよく真赤な箱が使われる。
中国のテープカットではテープの色は赤一色であり、紅白日本のテープカットとは対照的である。なお、中間には何個かの花飾りが付くものであるが、ほとんど赤一色の花びらのものか、赤の花びらの中に黄色の花びらが混ざったものであり、日本のものは紅白花びらの入り混ざったものと決まっている。
賞状や友好都市契約の締結書などの一葉からなる書類は中国では背が赤いバインダーに収められており、この赤が祝賀ムードをかもし出している。
中国では牡丹は百花の王とされ、中でも赤い牡丹はめでたいことの象徴とされている。雄蕊は黄色であるから、赤に黄色の配色である。前に述べた慶事の赤はまったく赤一色というワンパターンではなく、この牡丹と同じように赤に黄色を織り混ぜた配色のものも多く見られる。赤い幕に金色の龍の飾り物、赤地色紙に福の金文字、紅包の赤地に福の金文字、赤に黄色を混ぜたテープカットの花飾りなどがその例である。
春節になると、門前も家の中も赤で飾られる。道の両側に飾られている赤提灯、家の門に逆さに貼ってある赤福、めでたい対句の書かれた赤い紙の「春聯」、爆竹の色も赤である。そして、子供たちへのお年玉も赤い紙に包んで渡す。
5.1.2中国の水引、祝儀袋、不祝儀袋の色彩文化
中国の祝儀袋、不祝儀袋は水引がないことである。慶事用では当然赤であり、弔事用では喪の象徴色の白である。中国の場合には袋自体で慶弔を表示する。祝儀袋、不祝儀袋における白の意味というと、中国の場合の白は喪の象徴という重要な意味を持つ。
5.1.3「白」の文化
白色はチベット族の人の崇拝する神聖な色であり、正義、善良、上品、純潔と吉祥の象徴だった。チベットに入ると、白を中心としての世界に入る。長い冬はもちろん、たとえ夏では、高原南部のヒマラヤと北部の冈田底の山岳に積まれている様子も白雪である。最も主要な食べ物の糌粑、酥油が白い。饮みおっぱいやハダカムギも白い。着くのも白いシャツや白いウール。はるテントは、白が多い。住んでいる家の外壁はほとんど白に塗る、屋门には一般的に白い吉祥な図案を描いている。白い経幡や白の佛塔はチベットでどこでも見える。#p#分页标题#e#
お客様を送迎したり、仏像を拝んだり、尊長を訪問したりするなどの場合では、藏族の人はいつも純潔な長い薄絹を献納して、敬意や祝賀を表すこととともに、自分の願望や心身を託すということである。飲酒の時、銚子の柄を白いウールでくくること、花嫁は嫁ぐ時、白い马を乗ること、家族は亡くなった時、白い糌粑で極楽世界への方向を描き出すことと人々は道路で白い鹅卵石を見る時、自然に拾ってから、神様が居る石として、高所で供えることなど、様々な活動を通して、チベット族の人はどこでも白に対する尊敬を表している[2]。
5.2祭における日本の色彩文化
5.2.1「赤」の文化
まず目につくのは新年の行事に多く使われていることである。毎年決まって新聞やテレビで報道されるものを挙げてみると、いずれも新年を迎えたことを契機に心機一転で臨む意図の行事であるが、金屏風はそうした意気込みの場にふさわしい。
また、七五三の女子の晴れ着は赤糸の地が多く選ばれる。御所車、鼓、手鞠それに牡丹や菊などが描かれているものである。成人式の晴れ着も赤がピンクの地のものが多い。なお、そのほかの色としては青、からし、黒、紫、緑などがある。
神社で見かける巫女は赤い袴をはいていて、白一色の男性神官とはすぐ見分けがつく。歌舞伎に出てくる雪姫、八重垣姫、時姫などが着る衣装は赤地と決まっており、これらの姫は赤姫とも呼ばれる。
鯉のぼりにおける基本編成は三匹であり、上から順に一番大きくて黒い鯉、中くらいの大きさの赤い鯉、最も小さい青い鯉である。一番上はお父さん鯉、中はお母さん鯉、一番下は子供鯉という設定であるが、その家の家族構成を表したものでもある。黒はお父さんを、赤はお母さんを、青は子供を象徴しているが、ここでも女性は赤なのである。
5.2.2日本の水引、祝儀袋、不祝儀袋の色彩文化
慶事や弔事に使う祝儀袋や不祝儀袋には水引が結ばれている。水引は細いこよりに水糊を引いて乾かし固めたものを数本合わせたものであり、これが前の由来である。この水引を使ったものが当然オーソダックスなものであるが、最近ではこれを印刷した略式のものも出回っている。
水引は二色染め分けのものが使われ、袋の中央で結ばれるが、慶事用では白と赤、弔事用では白と黒の組み合わせが基本である。前者は紅白水引、後者は黒水引と呼ばれるが、オプションとしては祝儀袋では金と銀、不祝儀袋では青と白や黄と白などがある。黄白水引のものは喪が薄れた法事で使うもので、主として関西で用いられる。いずれの水引も白が向かって左にくる。面白いのは左側と決まっていることである。この理由は江戸後期に伊勢貞丈が著した『貞丈雑記』に記されている。この本は故事を調べたり、古書を読むときの参考書、つまり有職故実字典の意味合いをもって書かれたものであるが、紅白水引の項で白は五色(青、赤、黄、白、黒)の中の基本色であるから上手の左側に置くという下がりがある。噛み砕いて説明すれば、陰陽道によると左は陽で主、右は陰で従であるから、色の中で最も重要な白は常に左側にするのだ、となる。このような深い意味があるから、相手の赤や黒を取り違えなければ白が右でもよいのではないかという理屈は通らないのである[3]。#p#分页标题#e#
中国では、古くに朝廷に献上するものを紅白の麻紐で結う習慣があった。日本は飛鳥時代にこの習慣を取り入れ、室町時代になると、この場合に限らず、広く贈り物の包装に用いるようになった。
黒水引は、紅白水引の応用として出てきたのだろうが、黒となったのは、喪の象徴色として平安時代に始まり、皇室で守り続けられてきた灰色と関連付けられようか。
5.2.3「白」の文化
日本人にとって、白は結婚式の色だけではなく、国旗の色、富士山の浮いた雪の色、北国の雪の中で飛んでいる丹頂鶴の色でもある。そして、白の意味は、東京国立博物館で陳列する日本刀は真っ白な絹地で包むのであり、武士は割腹自殺する時、真っ白なキャラロで腹を巻くつけるのである。つまり、日本人は白と神を一身として、尊敬し、崇拝し、熱愛し、重視している。
日本において、白は日本の伝統宗教である神道教と密接な関係にあるため、白は神に仕える色である。そして、日本において、白も皇室と天皇を代表して、天皇統治の神性色彩である。
神道教では「白が神を人間を結ぶ色彩で、ほかの色のついた物のすべてが不潔だと考える。」と言う言葉が記述されている。確かに、日本の神社などの建築は、中国のお寺ほど鮮やかな色を使わず、できるだけ淡い原色の木材をそのまま使うのが一般的である。有名な伊勢神社、春日神社などを含み、皆木造で、屋根を松の皮で敷き、なんに色も塗らず、原木の白を持っているのである。そして、神路の白の砂で敷き、石灯篭も白い紙で貼り、神主も白い服装を着き、神に供える玉ぐしなどに白い紙を巻いて作り、白い鶴で神鳥を象徴するのである。さらに、参拝者は神社に入る前に、神社の前にある盥に用意された清水で口をすすぎ、手を洗ってから、神社に足を踏みいれ、初めて「寂福」の境界に達するという。ここで、清純な白を通じて初めて表現できたのである。故に、日本の神社は白が多く使われるのである。これは神道教の色彩観の重要な特色であるとともに、日本の民俗として存在し、近代にまで続けられている[4]。
すなわち、白は自然の代表とされて、人々はもともと神聖な自然の元へ戻りたいだと思う。白は神聖な色であり、神と人の間の架け橋でもあるため、神聖な存在と深く関連している。
日の丸は太陽神である天照大神が創造した日本という清潔な土地とこの土地の生息している万物を象徴している[5]。白と赤の配色は人に恭しく、厳かで、純潔で、また生気に溢れた感じを与えている」と述べられた。日本国の象徴としての国旗―「日の丸」は白地に赤い丸をベースとし、日章旗と呼び、「日出づるところの天子、書を日没する所の天子にいたす。つつがなき矢」という隋への国書から、自国を「日出づる国」と称し、自らを日の出の太陽と象徴した。#p#分页标题#e#
5.2.4日本の紅白歌合戦の色彩文化
紅白歌合戦の本質は歌の祭典である。紅白や紅組白組といった言葉は祭典であることを暗示するよい響きを持っている。日本人は祝い事のとき登場する紅白のマン幕や祝儀袋の紅白水引などを見て、紅白はめでたいものだというイメージを植え付けられているからであろう。タイトルに合戦という言葉を使っても、それが持つ殺伐としたイメージは、上に付く紅白という言葉によって完全に吹き飛ばされているという。
紅組と白組とに分かれて戦うほかのケースとして、団体スポーツで自チーム内に敵味方のチームを作って実戦練習のための試合がある。中でもプロ野球チームが開幕前のキャンプ地で行うものが有名である。運動会で行われる玉入れは布製の赤と白の玉を使用し、二つのチームがそれぞれ自分の色の玉を自陣に高く揚げられた竹籠に投げ入れ、その数を競う団体競技であるが、これも仲間うちで紅組と白組とに分けたものといえる。
このような紅白二組分けのルーツは源氏が白旗、平氏は紅旗を用いて争った源平合戦にあることは疑う余地がない。江戸時代以前すでに、香道で源平香と称する、紅白二組に分かれて香りを嗅ぎわける競技があった。紅白二組分けには古い歴史があり、伝統的に現代にまで受け継がれてきたものである。紅白分けが定番となった裏には、最終的敗者である平氏に、敗者が背負わされるのが常の劣等者というイメージがないことがある。つまり、源氏平氏両者対等という国民的コンセンサスである。もしそうでなかったら、組分けが決まったと同時に平氏系である紅組は弱い方の組だと捉えられてしまう。
5.3祭における中日の色彩文化の比較
中日両国で、「赤」は魔除けができると信じられている。悪魔を避け、安全を祈るために、人は赤い服を着たり、赤いものを身に着けたりしている。日本では神社仏閣の鳥居が赤く彩色され、巫女さんの大袴も赤色である。古くは古墳時代にも、壁画から赤が検出されているが、これは古くから赤には魔よけの力があると言われているからである。中国では、古代宮廷、寺院や建築物にまでそれが顕著に表れている。
中国の祝儀袋、不祝儀袋は日本のものと較べると大きな違いがある。まず水引がないことである。これから日本の祝儀袋、不祝儀袋に見られる水引は、中国にあった原型をヒントにして日本が独自に応用展開したものであることがわかる。つぎの違いとしては、祝儀、不祝儀の区別は袋の色で表わされることである。慶事用では当然赤であり、弔事用では喪の象徴色の白である。これらの色は全面的であり、赤一色の袋や白一色の袋となる。袋全体で慶弔を表示する中国の場合と、白地の袋を用いて水引だけで表示する日本の場合とでは、当然慶弔の識別性に大きさな違いが出てくる。#p#分页标题#e#
祝儀袋、不祝儀袋における白の意味は日本と中国では大きさな違いがある。中国の場合の白は喪の象徴という重要な意味を持つのに対し、日本の場合はそうした象徴の意味を、慶弔を問わず持たない。日本の祝儀袋、不祝儀袋の水引に見る白重視の理由として考えられるものは、白がかもし出す独特の清らかさ、さわやかさ、上品さであろう。
中国には日本のような紅白二組分けの方法はない。紅白といえば紅白事という熟語に代表され、この意味は結婚と葬儀、吉事と凶事であるから、日本のような紅白の使い方がないのも当然と言える。もともとに色組分けの顕著なものはなく、あえて挙げれば白黒分けだという。そういえば、中国が発祥の囲碁は白石と黒石を使い、白黒分け方法になっており、白黒分けは中国の伝統といえる。ただ、アマチュアの囲碁では、段級の低いものが黒石を握る習わしになっているので、黒は弱者というイメージができており、白黒が対等という感じにはならない[6]。
中国と日本の慶事の象徴色を比較してみれば、赤がその基本色であることは共通ながら、中国では赤を全面的に用いるためにアピール性が強いのに対し、日本では赤に白が組み合わされているので、その分アピール性が弱いといえる。中国のは押しが強く、日本のは控えめだということもできる。また、中国のはごてごてしているが、日本のはさっぱりしているともいうことができる。
6.0おわりに结论
短期間に高度成長を成しとげた日本では、人々の暮らしも意識も急速に変化した。都市型生活者、勤労者が多くなり、核家族化し、その交際範囲も広がり、国際的にさえなっている。衣食住に関しても中日古来の形はほとんど見られなくなり、洋風化の傾向になった。
このように、人々の生き方、考えかたが変わったのに、なぜか冠婚葬祭に関しては古い形にこだわり続けるのであろうか。今、婚葬祭について考えるなら、それは現代に生きている私たちの暮らしや考え方にふさわしいものでなければならないと思う。人の心は変化し、暮らしは進歩発展する。この変化に合った色彩文化を知った後、人との交流をより広め、より深め、よりよくするためのマナーであり、さらに人生をより豊かにするための種種の行事についての考え方、あり様である。
結婚式には、中国の方は赤が好みであり、日本人は白が好みであると言えよう。中国には衣服だけではなく、結婚式の前に出席者に出す招待状、親戚や友人からもらったご祝儀の紙袋、それに布団までも真っ赤なのである。日本では、結婚するとき、新婦の婚儀衣装はすべて白いのであり、新郎は黒の着物姿である。中国従来の風俗では、一式的に喪服は白である。「白」は昔も今も死を象徴する役柄を与えられている。現代の日本の葬儀においては、喪服は黒や薄墨色が一般的である。また、和服の場合は喪主と喪主の配偶者が白色の服を着用することもある。両国とも赤などの派手な色はふさわしくないとされている。#p#分页标题#e#
つまり色彩は人間の認識、感情や意志などの心理活動を反映しているわけである。中日の婚葬祭における色彩文化の比較から、国民の性格、身分、感情及び傾向、行動様式、態度などを知ることができる。色彩の文化意味から、中日両国の文化の異同をよりいっそう深く理解できると思う。
参考文献
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