概 要
中日国交回復して以来、両国は各分野に渡って、特に文化においての交流が盛んに行われている。一時、各形態の日本文化が中国に流入してきた。初期の映画から今のドラマ、アニメ、テレビゲーム及び一部の電子製品に至るまで、日本文化の影響が至る所に見られる。それは中国の若者に大きな影響を及ぼした。そして彼らは21世紀中国の主宰者であるから、この一代が日本文化にどれくらい影響されているかということを研究し、了解するのは、中国の発展にとってとても意義のある仕事である。拙文では、三つ段階に分けてこの問題を述べてみる。
一、萌芽期 (1985年~90年代中期)
アニメの支配時期
二、全盛期 (90年代中期~2000年)
各種の文化形態が拡張し、若者に大きな影響を及ぼす時期
三、安定期 (2001年~現在)
専門化、深化に向けて発展する時期
以上の分析を通じて、日本文化が中国の若者に及ぼした影響を了解することが出来よう。今、日本文化に対する認識がだんだん深まる故、多くの人はもっと客観的且つ理性的に日本又は日本文化を取り扱うようになっている。これは、中日両国にとって、明らかに良い兆しであろう。
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序 論
中日両国は、お互いに避けられない相手であり、仲間でもある。
歴史上、特に近代歴史上、いろいろな目的の為に、日本では中国についての研究が盛んに行われている。其れによって得た経験と教訓は日本近代迅速に勃興できる一つの原因となっている。対照的なことに、今になっても、中国は日本に対する研究はまだまだ不十分である。今、グローバル化がスピードアップし、「平和と発展」が世界全体の主流となっている情勢の下に、各国は、経済、軍事等のハード面の実力において競争しなければならないし、文化を中心とするソフト面の実力も無視できない。従って、日本を研究する当面の急務は日本文化及び日本文化の中国での伝播と影響を研究することだと私は主張したい。これは、拙文の着眼点である。
この文章が関心を寄せているのは、80年代に生まれた一代(以下80一代と略称)という特殊な世代の諸人である。彼らは、生まれてから「一人っ子」、「甘やかされているままで育てられた一代」等のレッテルを貼られ、成長の過程に、中国の近代化に恵まれた豊かな物質生活をエンジョイしてきた一代であり、いろんな批判を受けた一代でもある。時が経つにつれて、80一代は今或いはもうすぐ主人公として歴史の舞台に登場する。彼らは中国の未来である。以上を纏めてみれば、日本文化の80一代への影響は研究に値する問題であろう。この世代が如何に日本文化を見定めるかということは、彼らの日本又は日本人観に直接に影響する。おまけに、筆者も80一代の一員である、これがこの拙文を書こうとする動機である。#p#分页标题#e#
拙文は以下の二つの認識に基づいて論を進めようとしているのである。先ず、80一代は中国が全面的に改革開放してから生まれ育った。この時期では、多種多様な新しい知識、新しい思想、そして新しい価値観が流入してきたから、我々が直面している文化の大背景は複雑で多元的なものになってきた。こういう趨勢はインタネットが奇跡的なスピードで興ってから、益々明らかになった。そして、日本文化はその特有の互換性を以て、この背景の中一つのモデルとなった。第二、日本文化の伝播と影響はいつも中日関係という大前提に限られているにもかかわらず、80一代の成長に密接な関係を持っている。
本 論
拙文においては、1980年代中期に生まれ、今20ぐらいの若者を80一代の代表とし、1985年を始まりとし、この世代の特徴と結びつけて、今迄の20年間に、日本文化の影響と伝播を三つの時期に分けて論を進めたい。
一、萌芽期:アニメの支配時期(1985年~90年代中期)
80一代は子供時代を追憶する時、一本の代表的な日本アニメ必ず目に浮かんでくる。正直に言えば、これら活気の溢れるアニメこそ、80一代のは じめの十年間、時代の歩と共に付き添ってきた。この時期では、日本文化の影響と伝播は、アニメによって支配されているという特徴を呈している。80一代は日本に対するイメージは、ドラえもん、アドム、一休さんといったようなアニメキャラクターにつけられた。《日本文化の中国での伝播と影響(1972~2002)》という本の中で、この時期を「高潮期」と作者の李文氏が定義を下し[1]、この段階では、中国人の人々が日本に対する興味と好感を持つようになったため、日本文化の伝播のスピードが一番速いし、影響も一番大きいと彼も認めた。しかし、この時期を「高潮期」という言い方は、直接にまだ幼い80一代に当てはめることは出来ないと思う。というのは、この時期では、彼らの世界に対する認知のレベルは年齢と見聞に限られている。そして、彼らにとって、急速に普及されているテレビを頼りにし、日本文化を広められるのは、アニメだけである。更に、中日関係が「ハネムーン」に当たり、中国は地元のアニメ産業がまだ発展していないといった背景の下に、日本のアニメが中国で大成功を収めた。一時、中央テレビ局からそれぞれの地方テレビ局に至るまで、子供番組は全く日本アニメの代名詞となっていたくらいであった。アニメを楽しむことは、多くの80一代の少年時代の日課であって、その中のキャラクターもまるで側に生きている仲間のようである。80一代の多くは、アニメから初めて日本を認識した。例えば、康夫の畳、一休さんの和服、新野衛門の帯刀、そして日本人の礼儀正しさ等、アニメを通じて日本文化は80一代に強く印象を与えた。#p#分页标题#e#
この段階では、アニメという形式は単一なことは単一ではあるが、日本戦後高度成長したカルチャー産業の代表として、その内包は豊かなものである。だから、80一代はだんだん成長してきて、視野も広がって、特に一定の経済上の支配権を持つようになってから、日本文化に対する好感を映画、書籍、レコード、ひいては日本の商品にまで延長するのは、極自然なことだと言えよう。
二、全盛期:各種の文化形態が拡張し、若者に大きな影響を及ぼす時期
(90年代中期~2000年)
90年代中期から2000年にかけて、中国の強大と日本経済の持続的な不況により、伝統的な東亜雁行形態[2]が破れた。おまけに、国際情勢が変化したので、中日関係もクールダウンし、不安定な状況に陥っている。日本に学ぶブームも衰えた。それに、同じ外来文化として、日本文化は欧米文化、ひいては韓国文化からショックを受け、伝播がスピードダウンしてきた。ところが、それと同時に、80一代は少年期から青年期に入っていく。心理学では、この時期を「危険期」という。その特徴としては、生理の発育は速いが、心理はまだまだ成熟していない。それに、世界に対して強烈な好奇心を持ち、ある規定の準則と価値観に疑惑を抱いており、周囲に対して多少の反逆を示している等の面があるが、東西の文化を融合して、多元的な形態を持っている日本文化は、反逆期に当たる80一代の好みにちょうど合っている。1997年に張国良、石井健一、橋本明等が上海で行った一つの調査[3]によると、アメリカのテレビ番組を好んでいる人はほとんど高学歴を持つ人であることが分かる。しかし、日本のテレビ番組を好んでいる人々は、学歴上の特徴が著しくないが、35歳以下の若者が多いということが分かった。そして、1996年の年末、中国青少年基金、中国青年報社によって行われた「中国青年の日本に対する認識」というアンケートの結果、中国の若者たちが日本に対するイメージの56.6%が日本の漫画、テレビ、アニメから来ているということを示している。従って、この時期は、日本文化の伝播が一番幅広く、影響も最も強い段階である。この時期では日本の映画、カラオケ、歌謡曲等がだんだん大衆娯楽に浸透しており、柔道、剣道、茶道、和服などの文化形態も、幅広い趣味のある80一代の中に知音がある。こういう意味から見れば、この段階では、アニメ、ドラマと現代小説は、一緒に文化伝播の旗手という役割を果たした。
① 日本のアニメと漫画の流入
日本のアニメと漫画は題材が豊富で、表現法も多様である。
ラブをテーマとする作品は、モデルのような完璧な体つきを持ち、パッチリとした大きな目のある主人公を描写するのに力点を置き、激励をテーマとする作品は、よくスポーツを通じて、勇敢、進取の精神等の積極的な人生態度を宣伝する。近頃、幅広い影響を及ぼした「キャプテン翼」「名探偵コナン」「花の子ルンルン」などの作品は例外なしにそのスタイルに属している。そして、「千と千尋の神隠し」を以てオスカーに入賞した宮崎駿は言うまでもなく、日本アニメの代表的な大家である。彼の表現力に富んだ手法は無数の80一代を傾倒させた。アニメと漫画の題材は様々で、現実の生活から来ているものあれば、架空したものもあるが、いずれもそのファンたちに現実以外の世界を示すのである。彼らが挫折を受けた時、その中から慰めをもらうことがよくあるから、だんだんアニメと漫画が好きなようになった。
② 日本のドラマの流行
この時期において、アニメ、漫画に比べると、ドラマが勝るとも劣らないというほどの影響力を持っている。ドラマが登場すると、すぐ強力なスタッフ、神話のようなストーリーと素晴しいミュージックを以て観衆の目と心を奪ったが、疑いなく、80一代はその観衆の中心となる部分である。今になっても、「東京ラブストーリー」のような中国の若者たちの中に超人気のあるドラマは、その主人公の服装、台詞、甚だしきに至っては、一つ一つの表情もよく模倣される。あの時期、80一代にとっては日本のドラマはイコールファション、モダン、ひいては日本文化。ドラマは時代のテンポを正確に把握し、ヒューマニズムの処世哲学と真面目な生活態度を標榜し、人々の期待に値する優雅で、あっさりしているライフシーン示しているから、都市の若者に共鳴し易い。彼らの中に、冷静に日本のドラマを分析し、楽しむ人はいるが、その中から出てきたアイドルに夢中になっている人も少なくない。その理由は、ドラマが彼らの同様の悩みを描いたというところにあるし、困惑に陥っている彼らに色んな啓発してくれたというところにもある。
ある立場から見れば、ドラマはアニメと漫画の一種の延長だと言えよう。と言うのは、ドラマのプロットは漫画の中にもよく見られる。更に、漫画とアニメを直接に脚色したドラマもある。知らず知らず内に、日本のドラマは80一代に一種のライフスタイルを教えたりする。彼らはよくプロットから自己の姿を見出し、主人公のライフスタイルに近づけようと試みる。従って、この段階で、ドラマはテレビという比べ物のない媒介を頼りに、影響力において、アニメと漫画を遥かに超えた。また、その中に描かれている所謂「ホワイトカラー·ライフ」は、既に80一代の未来に対する仮想の手本になっている。#p#分页标题#e#
③ 日本現代小説の人気爆発
日本の現代小説の人気爆発を言えば、全く村上春樹一人の神話である。「100%のラブストーリー」と言われる「ノルウェイの森」は半年間に奇跡的に300万冊の発行部数に達した(それは、天地を覆い隠すような海賊版を含めていない)。客観的に言えば、随分想像力に富んでいる作家として、村上氏の才能に脱帽せざるを得ない。それは、50を超えた彼が何故何百万者読者のアイドルとなったのかという理由である。遠くアメリカにあるプリンストン大学で講義をしている村上氏は、一定の時間を経って新作をリリースする。そして、例外なしにベストセラーになる。出版業界において、村上の作品は一時の流行ではなく、もう一種の文化現象となっている。又、村上は、「プチブル派のリーダー」と称されているが、彼の小説に現れた音楽、食物、又いくらかの特定の名詞も広く流行できた。この「村上ブーム」の支持者の多くは、言うまでもなく、80一代であるに相違ない。彼の小説は、精神的な慰めとなるばかりでなく、残酷な現実に直面する勇気も感じられる。村上氏に比べると、川端康成、大江健三郎等のノーベル文学賞の受賞者を初めとする他の日本作家は、人気はあるにはあるが、村上と比べ物にならない。彼の作品は日本伝統文学の回りくどさから抜け出し、たとえ彷徨う時があっても、決して悲しんだり、憎んだりしないというポストモダンのコンプレックスを示している。彼の成功は、80一代の日本の対する興味は時代と密接している部分に集中しているということを裏付けた。彼を以て、所謂「哈日族」[4]はもしかしたら京都と奈良がどこにあるかは分からないかもしれないが、渋谷と銀座では、今何が流行っているかがすらすら答えられると言う面白い現象が解釈できるだろう。三、安定期:深化、専門化に向けて発展する時期(2001年~現在)
21世紀に入って、中日両国は各分野においての交流も引き続き深化している。それと同時に、避けられない摩擦も多く起こった。80一代はほとんどノンポリにもかかわらず、これらの摩擦は日本文化伝播へのマイナス面の影響が多少ある。おまけに、近年来、日本文化はイノベーション不足で、潜在力も足りない。又、他の外来文化、特に韓国からのカルチャーショックが激化する為、日本文化が影響力を持つゴールデン·エージが永遠に過ぎ去った。この時期の80一代は、だんだん成熟しているが、やはり激情と夢に富んでいる一群である。だが、以前よりもっと理知的になった。今、80一代はだんだん大学に入り、更にポストにつく。彼らは今、純粋な文化の摂取者から文化の批判者、ひいては創造者に脱皮しつつある。彼らの推賞、或は創造している文化の中に、日本文化の因子がよく見られる。#p#分页标题#e#
この時期では、80一代は日本文化に対する興味を自分の仕事や、勉強に結び付けているから、日本文化の伝播と影響は、専門化という新しい特徴を呈している。以下は三つの例を挙げて説明したい。
先ず、郭敬明、韓寒、ひいては「タイム」週刊誌のカバーにまで登場した春樹[5]等の近頃人気が爆発する80一代の作家達は、多くの場合で村上等の日本作家への敬服の意を表した。彼らが自分のアイドルを推賞するのは、日本現代小説に対する好みの延長に違いない。
第二、近頃、中国の多くの都市がだんだん漫画とアニメに含まれている巨大な潜在力を認識し、これをキーインダストリーしようとする都市さえもある。例えば、杭州においては、第一回国際アニメ&漫画祭が見事に開催され、80一代の多くは熱情と夢を抱いてそれに身を投げた。現段階では、彼らの作品は日本文化の影響から抜け出そうともしないが、何といっても、決定的な一歩を歩き出した。
第三、資料によると,2005年、全中国で合計138つの大学では日本語科が設けられているそうである。では、最も控え目に見積もっても、日本語を勉強している在学生の人数は2万に近い。そして、日本へ留学にいく人数も増える一方である。日本語はとっくに英語に次いで、中国において二番目の外国語となっており、日本語ブームは今全国を席巻している。
客観的に言えば、今の中国では、一筋の日本を全面的に研究し、日本文化を解読する流れが現れて来ている。80一代こそ、その中の無視できない新しい力である。今の学生は、もしかしたら明日の学者と「日本通」になり、中日両国間の交流と角逐に大事な役割を果たすかもしれない。
結 論
在り合わせの知識と能力に限られているため、学術の角度から見れば、拙文には必ず不備なところがあるだろうと思う。筆者は日本文化を美化又は指摘するつもりはないが、力を尽くして訴えようとするのは、自分の思考を凝らしたいくつかの見地である。上述のように、日本文化はまるで一輪の多彩の花のように、80一代の少年時代を飾り、青年時代、更に遠くの未来に影響している。慶ばしいことに、弛まない努力の結果、日本文化の良い面と悪い面が80一代にはっきり認識されるようになり、多くの人はもっと客観的且つ理性的に日本文化を取り扱うようになっている。これは、中国側にとっても、日本側にとっても、明らかに良い兆しであろう。
参考文献
[1] 「日本文化が中国での伝播と影響」 李文 中国社会科学出版社 P2
[2] 赤松要の「雁行形態論」により、後発国の産業発展のパターンで、輸入→国内生産→輸出という長期的な過程が、順々に雁の群が飛ぶように現れることを言う。1935年に提唱され、英語でもflying geese theoryという。
[3]「 東亜の大衆文化」 石井健一 蒼蒼社 2001年 P200
[4] 日本ファン;日本フリーク
[5] 中国人気作家の名前 北京現住